潜るコピーライターのアンダーウオーターズポエム | 豪海倶楽部 |
水の神様 近頃ようやくに暖かくなってきたのでJUN-P的にはとても嬉しい。 寒いのんがとんと苦手なJUN-Pは、冬場はお出かけの誘いがあっても「寒いから」と言ってお断りしたりする不届き者だが、春になると木の芽のように外出心が芽生え、一人で近辺の散策にでかけたりする。 JUN-Pん家は大阪市の北部に位置する東淀川区の端っちょで、万博などで有名な吹田(すいた)市とは自宅前を流れる川を隔てお隣さんになる。吹田市は昔の国の分け方でいう摂津国の北部を指す北摂と呼ばれる地域に属する。北摂は万博を機にニュータウン化が進められた地域だが、豊中市、吹田市、茨木市、箕面市に連なる千里丘陵を有し、まだ自然が残っていると感じる事が出来るところもある。 北摂の魅力はその歴史の深さにある。特に吹田市の歴史は古すぎるというか、、、なんと、象の化石が発掘されているのだ!象やで、象。びっくりするわ。それもJUN-Pが時々行く市民プールのあたりで発掘されたらしい!野生の象がその辺を闊歩していたかと思うと、嬉しくてしょうがない。どうにかしてタイムスリップできないものだろうか?と思う。思ってしまう。。象さんはきっと水辺を好んだのであろう。はるか昔、この辺にあった海と繋がった大きな湖の、その岸辺に彼らが暮らし始めた。ずっとずっと昔から生物が暮らしているのだ。 いつの時代も水辺は憩う。吹田という地名自体もそうだが、高浜町、泉町、川岸町、清水町、豊津町、垂水町などなど、、近所には水辺に由来する町名がいくつか在る。 今回JUN-Pが散策したのは、垂水町にある垂水神社だ。この神社の由緒は古い。大化の改新から少し経った頃になるのかな?干ばつで困っていた難波宮に、豊かだった瀧の水を送った事から創始されたらしい。その瀧が現在も残っているというのだ。二千年以上の時を流れる瀧。。こう書いただけで胸がせつなくなる。水の神様はどんな想いで流れを護っているのだろう?その想いに触れてみたくなった。 自転車で走ること25分。その神社は垂水基岡と呼ばれる小高い山の中腹に、鬱蒼とした鎮守の森と鎮座ましましていた。ひかえめに鳥居を通って参道の階段を登る、、。ドキドキしてきた。きれいに掃き清めらた境内には、平日の昼間ということもありJUN-Pひとりぽっちき。鎮守の森のパワーがすごい!絶対に精霊さんがいる!その存在感に、ちっぽけなJUN-Pなどはより小さくなってしまいそうだ。拝殿にお参りさせていただいて、瀧を探す事にした。向かって右手には鎮守の森への階段があり、登り入るには気合いが要りそう。左手には境内の深部に降っていく階段があり、こちらも気合いが要りそうだ。。JUN-Pは手をぐっと握りしめ階段を降ることにした。なんだかめちゃ緊張していて、海に潜る前の気分に似ているなあと思った。JUN-Pは海が好きだ。水が好き、いっぱい潜りたい。触れていたいと思う。でも、怖いのだ。恐ろしくてたまらない。そんな気持ちを思い出していた。 湿り気を帯びた石の階段は、グロットのイメージに繋がる。不思議な感覚だ。 降りきるとせせらぎが聞こえ、いよいよもってドキドキしてきた。瀧!鎮守の森の岩肌から湧きだしている瀧が、木漏れ日を反射して輝いている。足がすくむとはこんな感じ。以前に書いた、名張の赤目四十八瀧とは大きさが全然違うけれども、その神聖さは変わらない。厳かな美しさに見とれてしまった。しばらくは、近寄れないでいたJUN-Pだが、意を決して水に触れてみることにした。瀧は”潔斎”や”行”を行う浄場になっているので土足で立ち入らないように、との注意書きがしてある。いいのかな?たとえ素足になってもJUN-Pの心身が清浄であるとは思えない。立ち入って穢してしまわないかとかなり不安ではあるが。。 ひんやりとした感触が肌を透してひろがってきた。一歩一歩進むごとに瀧の飛沫が顔にかかって気持ちがいい。なんて清々しいのだろう。手のひらに受けて飲んでみると、ふんわりと甘い。身体の中から浄化されるような気がして、水のありがたさを実感するととにも、なんとも畏れ多い気持ちになった。なぜなら水はその身を以て私たちを浄化してくださっているのではないか?と思えたからだ。私たちは穢れを流し清浄になった気になれるが、実際、洗い物をすれば分かるように、水は汚れをまとったまま海へと流れて行ってしまう。汚れてしまった水自体は他のもので清めることは出来ないのだから。。JUN-Pは、ありがとうございます。と、心で言うしかできなかった。 まだ少なからず自然が残っているとはいえ、開発が進む住宅街に於いて、二千年以上の時を流れる瀧。現在はささやかな流れを護ってくださっている状態だ。この瀧は神社が創始される以前から、自然に水の神様として祀られてきたのだろうと想像される。時には荒ぶられることがあったのかもしれない。水に恵まれる地域には同様に反対の事も起こりうる可能性があるのだから。けれど、生きとし生ける物にとって水は必要不可欠な存在だ。だから生き物は水を求めて、水を崇めてきた。しかし、近代の人間はどうだろう?人間は自分達の都合で水をコントロールている事に気付き始めている。細くなってしまった瀧の存在を知れば、息が苦しくなる気持ちを感じる人は多いだろうが…。JUN-Pも瀧のゆく先が気になって、流れの一部を追いかけてみることにした。瀧の水は神社の脇を抜け参道の住宅前の溝を途切れ途切れに流れていって、、、暗渠の前で見えなくなってしまった。。 垂水の瀧が、開発の勢いに圧されながらも現在まで続いているのは、神社や地域の方々の並々ならぬ努力があったからだろう。時を経て、この瀧に出会えたJUN-Pは心から感謝をしている。 しかし、開発という雪崩を起こし一塊となってしまった人類は、自らもその勢いに飲み込まれてしまっている。JUN-Pだって偉そうな事は言えない。全然言えない!洗剤使って、シャンプー使って、排水溝から油を流して生きているのだから。水の息苦しさを感じながらも、いろいろ言うだけで実践してないJUN-Pのほうがよっぽど悪いから。。。 春になり、明るい気持ちで書き出したのだけれど、結局くらぁい結びになってしまった。あかんなぁ。。。実は今回の原稿は、水恋やらRoughやらの物語を書くのとは別の意味で苦しんでしまった。締め切りの25日は過ぎ、編集・制作の神崎氏には「週末までには送りますから」と泣きを入れ、それでも推敲を重ねる程に不安になり、結局公開ぎりぎりまで送れないと思う(神崎さん、ごめんなさい)。 神は確かにおわしますと思う。自然の全てに宿っていらっしゃると思う。 そして、その存在を感じる術は私達の想いの強さによるのかもしれないと思う。 もしかして、神様はさみしがりやさんなのではないだろうか?神様は我々の目には見えない。しかも、水も空気も透明だ。だから、それゆえに、その存在を目で確認せしめるのは他の生物に依ってからこそではないのかと思うのは畏れ多い事だろうか?水は光を映してからこそに、水に棲む幾多の生物の存在あってからこそに。空気は風になり生物に触れてからこそに。。 JUN-P達ダイバーは海に潜りレギュで呼吸するからこそ、水をとおして泡として具現した空気を目にすることが出来る。 けれど、そう思うと、つい甘えてしまう心が芽生える。 汚されても、汚されても、それを包み込んで尚、自らの存在を知らしめ、生物の一部である人間とともに在らんとすることを、神様は受け入れ、その姿を以て何かを知らしめんとしているのではないのかと。。。 人間は、包まれているのではないだろうか?と思える。 |
JUN-P(仲 純子) 大阪在住ファンダイバー 職業:コピーライターとか 1994年サイパンでOWのライセンスを取得。 宝物はログブック。頁を開くたび、虹のような光線がでるくらいにキラキラがつまっています。 海に潜って感じたこと、海で出会った人達からもらった想いを、自分のなりの色や言葉で表現して、みんなにも伝えたいなぁ。。。と思っていました。そんな時、友人の紹介で雄輔さんと出会い、豪海倶楽部に参加させていただくことになりました。縁というのは不思議な綾で、ウニャウニャとやっぱりどこかで繋がっているんだなぁ・・って感動しています。どの頁がたった一枚欠けても、今の私じゃないし、まだもっと見えてない糸もあるかもしれない。いままでは、ログブックの中にしまっていたこと・・少しずつだけど、みなさんと共有してゆきたいです。そして新しい頁を、一緒につくってゆけたら嬉しいです。 |