南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

チューク諸島の海から

もう随分前の話だが、以前私は、シャークショーをやっていた事がある。水中に散りばめたエサで、サメを私の周りに集め、サメと私が乱舞するという、ちょっと過激なものであった。時間は15分ほど。むろん、檻(オリ)などは一切使用しない。したがって、チュークに来る外国人ダイバーに、『カミカゼ』とか『クレィジー』などと、よく陰口をたたかれたものである。

トラック環礁の北東海域にシャークアイランドというきれいな無人島がある。潮が満ちれば周囲50メートル程の小さな小さな無人島である。その周りの海底には見事なサンゴの群落が発達しており、南西側の海底には急角度で落ち込む砂地の斜面がある。この砂地一帯がシャークショーの舞台である。

シャークショーをするポイントからちょっと離れた場所にボートをアンカーする。時間は午後。これは、夕方の方がサメの集まりが良いのと、お客様が撮影しやすい太陽光線を考えての事である。機材をセットするお客さんの目が水中を追っている。早くもボートの廻りにはサメがゆっくりと泳ぎまわっている。いやでも興奮が高まってくる。どんなダイビングでもそうだが、まずブリーフィングを行う。相手がシャークなので、事細かな説明をする。ポイントまでの移動。ポイントでの待機・見学のルール。サメが周辺に来た場合の対応。などなどである。

このあたりの海底は水深15〜20メートル。さあ、いよいよエントリーだ。エントリー、即潜降で海底で集合する。ここからは、海底の景観を楽しみながらシャークショーのポイントまで移動する。私の手には大きなビニール袋に入ったエサ(カツオやアジ・サバなど)がある。かすかな匂いをかぎつけて、ダイバーの周りをサメも一緒に移動してゆく。通常のダイビングで、これだけのサメに囲まれ、付いて来られると、大概のダイバーはビビッてしまうものだが、いざ、シャークショー、となるとダイバーの気持ちも幾分落ち着いている。『ショー』という言葉から連想される安全性を感じるのだろう。

ショーを行うポイントは、水深20メートル程の砂地の斜面である。そこに大きな岩場がある。お客様には、その岩を背にして、BCのエアーを抜き、どっかりと座っていただく。要するに安全(??)な観覧席というわけだ。その観覧席の前方20メートル位離れた場所で、私がエサをすばやくすりつぶしてゆく。エサの袋は大きな石の下などに隠しているが、サメはすかさず探し出し、盛んに頭を岩の下に突っ込んでいる。私はというと、中性浮力を保ち、ダンスホールのミラーよろしく、ゆっくりと回転しながら、サメの様子を伺い、あるいは威嚇しながら残りのエサをつぶしてゆく。その頃にはもう私の周りはサメだらけである。水中に浮遊したエサを体を躍らせながらパクパクとやっている。砂地の海底に散乱しているエサを取ろうと、尾びれと頭を震わせながら突進している。10〜15匹のサメが、約15分間こうして乱舞する様を見学する訳だ。砂地の斜面に午後の陽が差し込んで、白いサメの腹や不気味なサメの目を一段と鮮明に映し出す。

お客さんの中から時々悲鳴が聞こえてくる。流れに乗ってお客さんの方に移動したエサを、サメが追っかけて食いついているのだ。エサを沢山撒くので、サメだけでなく魚もいっぱい集まってくる。しかし、そんな魚たちには、サメはいつも無関心だ。ひたすら私が撒いたエサだけを食いついている。用意したモリで魚を突き、水中に放り出す。すると間髪入れずにサメが突進してくる。ちょとでも弱ったり、不自然な動きをしているものにはとても敏感だ。

私が、シャークアイランドでこのようなシャークショーを始めたのは、あるサメの撮影が発端だった。チュークのダイビングの売りとして、サメとサンゴと無人島を前面に押し出して行こうと考えていた私にとって、この3拍子揃ったシャークアイランドは正にそのキャッチフレーズにピッタリの島だった。以前から、シャークウォッチングや無人島撮影、サンゴのポイントとして、ダイビングにスノーケリングにと頻繁に利用していた島だったのである。他の場所に比べ、割と簡単にサメが見れて撮影しやすいポイントとして早くからこの島のサメに私は注目していた。そんな時、水中映像カメラマンの須賀次郎さんから、サメの撮影の依頼を受けた。サメの立体映像による撮影だった。話によると撮影はかなりハードなものだった。当初、檻(オリ)の使用も検討されたが、結局フリーの形で行う事になった。

過去に何度か餌付けしてスチール撮影を行った事はあったが、今回はその比ではない。何度も何度もエサを撒きサメを集め、水中のサメの様子を観察する。現地ガイドも餌場には近づかない程だ。当然である。彼らのサメに対する恐怖はサメと共に生きてきた海洋民族のそれである。サメの怖さはイヤというほど知っている。

撮影が開始された。サメの群れる水中に、新たなエサを引っさげて入っていった。廻りはサメだらけである。大きなエサの魚を何匹ものサメが奪い合っている。食いちぎられたエサが当たり一面に浮遊散乱している。それを狙って次から次へとサメがアタックしている。まさしく、『キンタマが縮みあがる』光景だ。さすがに須賀さんは凄い。何台かのカメラを水中にセットしながら、しかも手持ちのカメラでサメを追い回している。サメを恐れている様子は微塵も感じられない。私も逃げ出したい気持ちに鞭を打ち、カメラの近くにエサをセットしてゆく。海底にずっしりと足をひらきカメラを思いっきり回している須賀さんの股の下をサメがくぐってゆく。私の体すれすれに何匹ものサメが通り過ぎてゆく。

撮影は大成功だった。無事撮影を終えて、ホテルに帰るボートの中で、早くも私に1つの考えがまとまり始めていた。シャークショーだ。こんなに過激でなくてもいい。でもこんな形のスリルをダイバーにも分けてあげたい、という気持ちが頭の中を支配し始めていた。当時、世界のあちこちで盛んにシャークショーが行われていた。その殆どが、水中でダイバーがエサを持って直接サメにあげる、という格好のものだった。餌付け役のダイバーからサメがエサを取る瞬間はスリリングなものだが、でもそれはほんの一瞬の事でしかない。これではチョット物足りないではないか? もう少し、サメに対するスリルを長続きさせる方法はないものか?

須賀さんとのサメの撮影が、私にヒントをくれた。しかし、絶対に安全でなくてはならない。以前からサメについてはかなりの興味と観察を続けていた私は、その後何度かの調査実験を繰り返し、ついにシャークショーの実演に踏み切った。評判は上々だった。こっそり家のフリーザーからサメのエサを持ち出す私を見て、妻はいつも生きた心地がしなかったという。私のシャークショーの話を聞きつけて、日本の父親からも、中止要請の電話があったりもした。『そんな事なでしなくてもやっていけるだろう』、と。

しかし、私には確信があった。ルールさえ守ればサメは意外と安全なものである。今もチュークの人達はモリで魚を突き、近寄ってくるサメを蹴飛ばしながら、サメと共に生きている。その後も須賀さんはまた、サメの撮影に来てくださった。そのときも、『檻(オリ)を用意しましょう』と言うTV局側の要請に、私と須賀さんはニヤリと笑っていた。

サメと遊びサメと舞う
チューク諸島

末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

現地法人
トラックオーシャンサービス

P.O.Box 447 MOEN CHUUK
STATE F.S.MICRONESIA
#96942
Tel/Fax:691-330-3801

www.trukoceanservice.com
Suenaga@mail.fm
© 2003 - 2011 Yusuke Yoshino Photo Office & Yusuke Yoshino. All rights reserved.