南国通信 楽園からのらくがき 豪海倶楽部  

チューク諸島の海から

南の島の代表的な植物に椰子の木(ヤシの木)がある。『南の島』と聞いて、真っ先に思い浮かべる南国のイメージだろう。おそらく、地球上で最もロマンチックなこの樹木は、同時に、そこに住む人達にとっては最も有益な植物の一つである。旅人の心を慰めてくれるこの椰子の木とは・・・・、ちょっとその素顔に触れてみよう。

椰子の木には沢山の種類があるが、通常我々が『ヤシの木』と言っているのは『ココヤシ』の事である。そしてこのココヤシにも、その形状、色、樹木の大きさ(高さ)などで、様々な種類があるのだが、ちょっと見た目にはどれも同じ様なものに映る。南の島に普通に生い茂っているあのヤシの木の事だ。このココヤシの実の中に入っている果汁を我々は飲んでいる訳だ。

この椰子の木と、椰子の実は、南の島に住む人たちにとっては無くてはならぬ大変貴重なものだ。彼らにとってはまさに万能の植物と言える。

椰子の実は、優れた飲料であり、食べ物でもある。良質の脂肪やたんぱく質、カルシュウムや鉄分、リン等を多量に含む。飲み水の少ない小さな島々にあって、いつも新鮮な飲み物を提供してくれている。その果汁からつくるお酒は彼らの貴重な娯楽でもあった。

椰子の実の果肉からは、油も摂れるし、椰子ミルクという調味料も摂れる。伝統的な彼らの食生活には、このヤシミルクは欠かせない調味料となっている。また、この果肉は乾燥させてコプラにし、ヤシ油の原料として、南の島の数少ない産業の一つでもある。かつて、ミクロネシアを支配した、スペイン、ドイツ、日本は、競ってこのヤシ油の原料となるコプラの買い付けに奔走したのである。

椰子の実の殻は優れた燃料ともなり、タワシや、ヤシロープの原料でもある。伝統的な大型カヌーや、ローカルハウスの建造には、今もこのヤシロープが使われる。日本でもおなじみのヤシガラ活性炭は、もちろん、この椰子の内殻から作ったものだ。その他、ヤシ殻からは数々の食器や装飾品、ボタン等も作られる。


樹齢5〜6年の椰子の樹

ヤシの木や葉っぱも例外ではない。真っ直ぐなヤシの木は建材としても優れている。若いヤシの木は草に似た繊維質で幹は柔らかいが、老木になると、幹に油が回り硬木に変わる。中の繊維質が硬くなり、まるでワイヤーをねじり束ねたケーブルのようになるのだ。実際にやってみたが、五寸釘が真っ直ぐに入っていかない程である。かつて、戦いに明け暮れていた彼らチューク人は、このヤシの老木を使って武器を作っていたのだ。

枯れたヤシの葉っぱは大事な燃料となる。手馴れたチュークの女達は、ヤシの葉っぱ1本でヤカン1杯のお湯を沸かす事が出来る。長さ4〜5mもある大きな葉っぱを束ねてタイマツを作り、漁火として夜の漁を行う。大潮の干潮時、遠浅の夜の海岸で手に手にこのタイマツをかざした漁火の風景は、チュークの1つの風物詩でもある。緑の葉っぱからは、農作業のバスケットや帽子などの装飾品もできるし、家の屋根や壁を葺く材料ともなる。無人島のキャンプ小屋などは、このヤシの葉っぱがあればあっという間に見事なものが出来上がる。


樹齢50年前後の椰子林

椰子の木には年輪や枝は無い。幹はまるで電信柱のように真っ直ぐに伸びており、そのてっぺんに大きな傘のように葉っぱを広げているだけである。緑の大きな葉っぱは灼熱の太陽をさえぎり、長く伸びた1本の幹は海からの涼しい風を運んでくれる。椰子の木は南の島の人達に心地よい安らぎの場所を提供してくれているのだ。椰子の木の幹をよく見ると幹廻りに丸くワッカのような模様がある。これは、1本、1本の葉っぱが幹からはがれ落ちた跡である。この椰子の木の葉っぱは1年間でおよそ7〜8枚落ちていく。これが椰子の木の年輪に相当する。

椰子の木(ココヤシ)の寿命は、おおよそ人間の寿命と同じ位と言われている。そして、その成長の過程は驚くほど人間のそれに似ている。椰子の花はオシベとメシベを共有するが、その開花時期がそれぞれ異なるため、他に結婚相手の椰子の木が必要となる。完熟した椰子の実は落ちて種になる。落ちる前の壮年期の種を割って我々は飲んでいる訳だ。落ちた椰子の実は、放っておくと1年位で芽が出てくる。5〜6年経つと花を咲かせ実をつけ始める。一旦、実をつけ始めると、季節には関係なく次々と、60〜70年はずっと実を付け続けている。その数は1年間でおおよそ100〜200個にも及ぶ。


椰子の花・結実

遠き島より♪〜♪、流れ来る、やしの実一つ♪〜♪・・・・、島崎藤村の歌にあるこの椰子の実は、はるか何千キロも離れた遠い南の島から流れ着いたものだ。チュークの海をボートで走っていると、このように椰子の実が海に浮かんでいる光景によく出会う。

まだ緑も無い小さな砂浜に、幾つもの椰子の実が打ち上げられて小さな芽を出している。やがて根を張り大きな椰子へと成長してゆく。小さかった砂浜は段々と大きさを増し、1つの無人島が出来上がる。チュークの海にはそんな無人島が沢山存在する。それら島々の1つ1つは、大昔からチュークの人達にとっては、かけがえのない財産だ。人々に沢山の海の幸をもたらし、彼らの生活に潤いを与えている。

1個の椰子の実が人々に糧をもたらし、1本の椰子の木が海に命をもたらす。今日もたくさんの椰子の実が、潮流に身を任せ見知らぬ世界へ旅をしている。無人島の浜辺に寝転び、波の音と、椰子の葉のそよぎに耳を傾けている時、この世に生きている幸せを心から感じる。

椰子の木
チューク諸島

末永卓幸


末永
末永 卓幸

1949年1月生まれ
長崎県対馬出身

立正大学地理学科卒業後、日本観光専門学校に入学・卒業。在学中は地理教材の収集と趣味を兼ねて日本各地を旅する。1973年、友人と4人でチューク諸島を1ヶ月間旅行する。1978年チューク諸島の自然に魅せられ移住。現地旅行会社を設立。現在に至る。観光、ダイビング、フィッシング、各種取材コーディネート、等。チュークに関しては何でもお任せ!現地法人:『トラックオーシャンサービス』のオーナー。

ミクロネシア・チューク諸島

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